
散歩を1時間、2日間しました。人生の先輩から散歩1時間の話を聞いたのです。調子がいいそうです。それでわたしもコロナで暇でしたから、2日間やってみました。まあまあです。そして、時間がなくて、15分散歩15分ジョギングをやってみました。調子がいいのです。ここ1週間やっています。天気が続いています。
そこで思ったのですが、散歩の筋肉とジョギングの筋肉は違うのでしょうか?詳しい人がいましたら、教えてください。
最近は、散歩またはジョギングの前に足を開いて膝の屈伸を膝の筋肉が痛くなるまでやります。これは、尾てい骨の曲がりを直して、散歩ジョギングをしてそれを固定します。これはいいです。しかし、今度は上半身の筋肉不足を感じています。腕立て伏せ20回をしないといけません。しかし、しんどいんです。やらないのです。頭では理解してるんですが体が理解してないのです。
また、散歩の途中で、年より歩きの散歩者をみます。年より歩きになる前に歩かないといけないと感じます。ちょっと歩きがおかしいと感じたら散歩しないといけません。それになってしまってからでは遅いように感じます。歩きにくいと歩かなくなります。自然ですよね。常日頃から歩く習慣をつけないと若いもんに迷惑になりますね。この習慣をつけるのも業縁でむつかしいので。人間の体ってむつかしいですね。
業縁を乗り越えられるのが仏教なんですがーーー。乗り越えられます。救いです。私が証明しています。
習慣というものは恐ろしいものです。読んでください。
私は朝、15分散歩して15分ジョギングをやっています。それで思うのですが、みんなは自分は運動不足と思ってるんですが、なかなか体が思うように動かずに、だんだんとそれが弱ってきて、走れなくなり、歩けなくなり、しまいには寝たきりになります。自分ではその不足は理解してるのですが、体が理解してないのです。
これは運動をする習慣が身についてないからです。それが身についてないから、運動ができないのです。これを仏教では業縁といいます。昔は「業の深い人だな。」っていっていました。たとえば、泥棒が改心してまっとうな人間になりました。しかし、また泥棒を始めました。このような人を「業の深い人だ。」っていったのです。
習慣というものは恐ろしいものなのです。こんな話もあります。
刑務所に23年入っていました。刑期を終え、娑婆に出てきて、仕事につきました。しばらくして、仕事がきつくなり、無銭飲食をして、また、刑務所にもどりました。わざと無銭飲食をして、刑務所に戻ったのです。三食昼寝付きの刑務所が楽で忘れらなくて、わざと戻ったのです。
このように頭で理解しているのですが、体が理解していないのです。これを仏教では業縁といいます。みなさんはどうでしょうか?
だれしも、人にいえない失敗はあるものです。宗教的罪を仏は救いとってくださるのです。読んでください。
あるおじいちゃんの話です。彼は世話好きで仲人をしていました。
どこからか、きれいな女性の写真を手に入れて親戚の家へもって行きました。「写真を持ってきました。おかあさんどうかね、長男さんに。」「仕事から帰ったたら見せますから。」ということで帰りました。しばらくしてから、電話がありました。「まだ、結婚したくないからいいです。」とのこと。またしばらくしてから、どこからか、写真を手に入れてまた、親戚の家へ行きました。「きれいな女性の写真です。息子さんにどうかね。」そうしたら「ごめーん。息子は婚約しました。」とお母さんがいいました。それを聞いた瞬間、「なんで。それを早くいわんがいや。」と怒ってしまったんです。お母さんの顔を見るとびっくりした顔をしていました。あーーーーわたしはなんてことをしてしまったんだろう。頼まれてもいないのに、怒ってしまった。彼女のこころを傷つけてしまった。仏教は怒ってはいけない。人のこころを傷つけてはいけないなのに。-----と思ったそうです。
彼は家に帰り、仏壇でお参りしました。ーーー彼女の心を傷つけました。怒ってしまいました。失敗しました。----と。仏様は許してくれません。次の日もまた、----失敗しました。----とお話をしてお参りしました。仏は許してくれません。次の日もまた、仏壇にお参りしました。仏は許してくれました。
しばらくしてから、親戚の家へ用事があって、行きました。----おかあさんは怒ってないだろうか、不安だ。----玄関をあけたら、「あーーおじさんいらっしゃい。」笑顔で迎えてくれました。ーーーよかったーーーー
こんなことがあったそうです。これは信仰告白です。それは、人には言えない失敗です。わたしにもあります。この失敗を、宗教的罪を救い取ってくださるのが仏です。このようにして、前向きに明るく生きていくことができるのです。仏教のいいところです。最高の幸せを味わっているのです。
松下幸之助さんが言ってた。「企業は人です。」って。「職員は宝です。」です。仏教の精神です。読んでください。
「万が一コロナに感染したら、県立病院に入院して、アビガンを投薬してもらってください。」と保育士に話しました。職員を守らないと。
TVでアビガンを投与してくれる病院とそうでない病院があるといっていたので、さっそく、金大病院と県立病院に電話しました。金大病院は「わかりません。」といったので、「わかるところに回してください。」といったら、お話し中だとのこと。つぎに県立病院に電話したら、「医師の判断でそれができます。」とのこと。それなら、県立ですね。職員にいいました。
この間、職員には、「万が一それに感染したら、入院して、息が苦しくなったら、アビガンを投与してください。」と医者にいうんですよっていってあった。
実際、職員が発熱したら、自宅待機です。自宅待機していれば、いずれ、症状が悪化して、息が苦しくなり、救急車で病院にいきます。救急車の中で、「県立に行ってください。」といえば、普通行くことができます。
このようにして、職員を守ってやらないといけない。
保育園の障害があるこどもです。読んでください。
保育園にA君、理解力はあんですが、言葉がでない男の子がいます。このままでは、しゃべれないまま小学校にいってしましそうです。別の言葉のリハビリ施設にも月1回通ってます。
A君には20歳になって、恋をして、わくわくし、失恋して悲しい思いをし、夢のある仕事についてほしいと考えています。なんとか喋れるようにと工夫しています。
牛乳が飲めても、次の日、忘れて飲みません。記憶が無くなるのです。自分の世界が強すぎるのでわないかと思っています。転んでも泣きません。ハイが強いのです。一時期高いところを怖がっていましたが、いまではそうでもありません。
友達のおもちゃをとりますが、いけませんといっても、次の日は忘れています。体をゆすってだめっていうと数日はもちますが、その後はだめです。わすれています。それと、自分が興奮すると、頭を左右に振って、喜びます。これはわたしは喜びすぎっておもっています。喜びすぎて、まわりが見えてないように思えます。
仏教保育は、その子の本当の幸せを願うものです。大人になって、大恋愛をしてほしい。Aくんには。
TV新聞で6月にアビガンの治験が終わるそうです。あと2か月です。それまで不要不急の外出は避けましょう。ようするに、遊びにいかない。友達と会わないです。アビガン治験で検索してください。出てきます。
なんだーあと2か月か、と安心しないでください。2か月をおろそかにすると、感染が拡大して、広がって、死亡する人が出ます。それを避ける意味でいままでどうり我慢しないといけません。
人間って、先が見通せれば、我慢もしやすくなります。あと2か月我慢しましょう。
うーーーーん。まさか、政府は治験が終わっても、承認をすぐにださいってことはないだろうなー。なんで政府が信用できないんだ!こんなのいあやだーーーー。すぐに出すべきです。命を大切にです。安倍さんは経済を重視してるみたいだ。こんなのいやだーーーー。