Author Archives: hujihara


「病院で念仏をーーーー」9話を見ました。=住職日記

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「病院で念仏をーーーー」9話をみました。

今回のテーマは宗教的罪(悲しみ)でしたね。主人公のそれは、幼いころ、友人を助けることができなかった。仏教は命を大切にするですから、友人の生きたいといういう気持ちを断ち切ってしまったから。これは宗教的罪です。言い換えれば、悲しみです。ドラマではこの悲しみは一生消えない、慣れていくしかないっていってました。真言宗的な言い方なのかな?仏を念じて罪を小さくしてくれるのかな?

 浄土真宗はアミダにお参りすればその罪は救い取ってくれるから、悲しみは消えます。いや、一時的に消えます。また、悲しみを思い出してお参りし、悲しみは消えます。これの繰り返しです。前述とはちょっと違うね。

 前述も、後述も、ともに、そのことによって、前向きに生きていけるね。ドラマの中でも前向きっていってたね。

「病院で念仏をーーーー」8話をみました。=住職日記

ドラマは仏教のない世界を土台にしてるんだね。うううんn、疲れてくる。東京には、仏教がないのですか。よんでください。

「病室で念仏をーーーーー」8話をみました。

両忘=白か黒かで、争って苦しまない。ですね。自分一人で、頭の中で悩んで苦しまない、ですね。命は自分のものと思ってるんだね。

 浄土真宗の門徒さんは、命を仏に預けているから、家族と話し合って決めてるね。苦しんでいません。たとえば、手術するかしないか、のときは医者の話を聞いて、家族と話し合い、決めてるね。苦しんでいません。

 ドラマの中で、正義と命とどっちが大事みたいな、場面がありましたが、当然、命が大事です。これに対して、正義をおろそかにするのかって、意見が出ますが、大丈夫です。あの人は、また、別の場面で、命をおろそかにして、罪を犯し、罰を受けるのです。

「病院で念仏をーーーー」7話を読みやすくしました。=住職日記

仏教はむつかしいなー。できるだけわかりやすく、しています。もーちょっとかければいいんだがなー。

「病院で念仏をーーーー」7話みました。=住職日記

視聴率どれぐらいかなーーー。みんながみてくれたらいいんだがー

「病院で念仏をーーーー」7話を見ました。

如実知自心が出てきましたね。「ありのままのこころをみる。」っていってましたが、正確には、自分のこころを知る、観るのが幸福になる道理である、という意味です。

 「人のこころは、ある時は欲望が支配し、人を傷つけ、自らも苦しむ。また、ある時、愛情、思いやりが支配すれば、人に喜びを与え、自らも幸福になる。このことを理解し、八正道を実践することによって、煩悩を滅し、悟り、最高の幸福を得る。」ですね。

 この八正道を実践すればーーーといいましたが、これがなかなかむつかしいのです。厳しい修行をしても欲望煩悩は消えないのです。そんならや―ーーめた、になってしまうのです。もとの黙阿弥です。

 それでお釈迦様は阿弥陀仏にお参りするなら、浄土に行けるという浄土教を私たちに示してくれたのです。煩悩欲望の1番強い、死の恐怖を開放し、十善行を実践し、阿弥陀仏にお参りし、懺悔することによって、悟りを開き、最高の幸福を味わうのです。

 うううんん。なんていっていいのかなーー。一時、煩悩欲望に身をまかせ、人を苦しめるのですが、仏にお参りすることによって、懺悔することによって、仏に罪を許してもらい、また、悟りの境地、最高の幸せに戻るのです。むつかしい言葉で「不退転位に住する」といいます。「不断煩悩得涅槃」ですね。

 視聴率、二けた行かないだろうなー。みんな見ないだろうなー。

「病院で念仏をーーーー」6話をみました。=住職日記

墓じまいと同じです。子には迷惑をかけていいのです。こどもに甘えるのですね。

「病院で念仏をーーーーー」6話をみました、

 おじさん「治療をしないでくれ。」なぜなら、余命は短い。子供に迷惑をかけるから。元カレ「余命は短いから、死なせくくれ、死なせてほしかった。」妻は若いから、こどももいるから。

 人はどうして、こうも計算して人生を考えるのだろう。子供に迷惑をかけるって、なにいってるんだよ、経済的に迷惑をかけたくないんだろ!ちがうでしょ。子はできるだけ長く生きてほしいんだよ。本能だし、愛情だし。子は親は永遠に死なないとおもってるだよ。この愛情に報いないといけない。ドラマの「寂しさを早くから、味わわせないでほしい。」。そうなんだよ。

 ううんn「経済的に迷惑をーーー」これも愛情です。しかし、長く生きればいいこともあります。一生懸命生きでだめなら、それでいいんです。子も納得する。納得する。一生懸命がいいんです。男の子も女の子の同じです。

 こんな話がある。あるお父さんが全身がしびれる難病指定になって、わたしがお参りにいきました。そのとき、私はいいました。「孫が結婚式の時、名簿に祖父、祖母の名前があったら、うれしいんだよ。」って、そしたら、娘さんが。そうそうとうなずいていました。これですよ。

 人の生は計算だけじゃない。愛情がからんでくるのですよ。一生懸命生きる親の姿をみて、子は愛情を感じ、病気の親を看病することで、親は愛情を感じ、子は愛情を与えることができ、自らも愛を与える喜びを味わうのです。愛は相乗なんですね。

第5話「病院で念仏をーーーー」みました。

冒頭主人公と師匠の会話「反省はしますが、後悔はしません。」それに対して、「暴力をふるって、だれを救ったんだ」この会話にはドキッとした。わたしもそれでスキっとしたほうですから。だれも救てないね。しかし、よく考えるとこの救急医療班のメンバーは全員悟ってるといえる。(浄土真宗と悟りを参照)悟っているんだから、救いも関係ないことになる。原作者は悟りの定義をどう考えているんだろう?

 臨終の場面があったね。理想的な臨終だね。現実は、忙しいとか、遠いとか親族は全員集まれないね。ほんとのところ、時間があれば、近ければ、集まっていると考える。みんな優しいから。仏教があるから。東京都会はわからない。

 ううんnどうかなーーーーこの田舎でも情は薄くなってる。

 金沢でも、親戚付き合いがなくなってる。昔は頼れるのは親戚だった。親戚からの借金はご法度になった。困ったことがあったら、弁護士になった。親戚の必要性がなくなってる時代だね。今は家族の問題は誰に相談してるんだろう。親戚じゃなくて友達なのか?

 後半で、死に方の問題があったね。「死に方を選択出来たらいいね。」って発言があったね。そんなのできるわけないね。できないことを望むのは悟ってない証拠になりっます。わたしの考えは、教えを守って、仏にお参りし、毎日を懸命に生き、その先に死に方があると考える。最高の死に方が待ってるね。