
平成25年から平成27年にかけて、本山屋根修復のため450万円を寄付。平成29年から31年にかけて、これまた別院の屋根修復に450万を寄付。2020年からまた、本山が寄付を集めると決まったそうです。
うちの宗派はどうなってるの!金ばっかり集めて!私たち末寺にはなんの手助けもない。どうなってるんだ?西本願寺派屋根の修復寄付は末寺20万だって。あそこは文化財だから、国がほとんど修復費用を出してくれるんだって。!いいなーーーーこっちも将来文化財にしてほしいよ。ほんとよ!
本山の450万は門徒さんの寄付で350万を支払った。残りはパスしました。別院の450万は250万は門徒さんの寄付、200万は銀行から借金して支払うつもりです。その銀行からの借金は別院からペナルティが課せられるのでどうしても払わないといけない。どういうペナルティかというと後継住職には僧籍を与えないっていうもの。わたしはあと10年で息子に譲りたいと考えてるのでどうしても払わないといけない。ペナルティってなんだ!やくざじゃないか!
頭にくる。支払う、ペナルティってどいね。企業の本店支店の関係ではないぞな!やくざの上納金じゃないぞな!本来、宗教団体は懇志教団なのです。
懇志教団とは、年に一度、住職が大体決められた懇志金をもって本山に行き、門跡の前で手渡す。これが本来の姿です。
それがいつの間にか税金になってる。または、上納金になってる。払いたくないが払わないといけない。うううんn。
わたしは考える。本山の柱1本が歴代の住職門徒が寄付して、立ってると思うと大事にしないといけないと思う。そして、本山があったからこそ先祖、今の門徒が、門徒のわたしが、悟りを開き、救われ、最高の幸せを享受してる。やはり、本山を大事にしないといけない。
この板挟み状態をどう解決していくか。それは2年後の宗議会議員選挙に出てそれになって、本山改革をする。その行動にでるということです。これも悩みだ!
「絶対の幸福」ってどこかの映画がいってるが、これはおかしい。この世の中には絶対はないからね。これもプロパガンダ?私たち仏教徒は悟って、救われて(極楽浄土に行くこと)最高の幸福を味わってる。決して絶対ではない。だって、わたしでも地震、大雨の災害で命を落とすことがあると考えるからーー。
あの会は西本願寺から分派した宗派ですが、お金を集めてるね。半強制的にね。人にはこの会に入らないと浄土に行けないっていってる。会費を払わないと浄土にいけないっていってる。ちょっと宗教的脅迫がある。その脅迫に負けないように、既存の住職さんが布教しないといけない。
その脅迫があるってことは、仏教ではないってことになる。やはり、だめですね。
そこで、映画でいってる「善人なもて往生をとぐ、いわんや悪人おや。」歎異抄の言葉ですね。これは善人は武士や貴族のこと。悪人は農民のことですね。士農工商の時代背景があるんですよ。これを理解してるのか、疑問に思う。現代は不殺生、十善行を持ち、仏にお参りする人は救われるんですよ。
私の寺にも、ビデオを売りに来た。どうなってるの。あの当時は寺院方にもこころのスキがあったのかな。
あの映画見ないでね。見るとあの会に寄付したことになる。
他宗派の教え=1、100%死ぬことをわきまえて生きる。(無常)2、おかげさまの気持ちで感謝する。(縁起)
浄土真宗の教え=上の1,2プラス小さな生き物を大切に、と、人の心を傷つけない(十善行)
仏教はインド、中国、日本と伝わってきました。特に、インドから中国に伝えたのが三蔵法師です。
三蔵法師は噂をきいたのです。それは、インドに、人間が自分の死を想像すると恐怖を感じる。すなわち、死後極楽に行くのか浄土に行くのか、わからん。地獄にいったらどうしようという恐怖を感じる。その恐怖を無くする仏教というのがあるという噂を聞いたのです。
法師は、それならば、中国の人たちをその恐怖から解放させたい、救ってあげたいという思いになって、インドへ経典を求めて旅立とうとしたのです。すると、弟子がいいました。法師様「インドに行くには大きな灼熱の砂漠があります。それを乗り切っても、また、極寒の高いヒマラヤ山脈があります。到底生きては帰れません。どうか、インドに行くのはお止めください。」と。それに対して、法師はいいました。「1%でもいける確率があるならば、わたしは死んでもかまわない。インド行って、経典を持ってきたい。」と。
そして、また、旅の準備をしていました。ところが、当時の中国は皇帝の許可がなくては、出国できないことになっていました。それで、法師は皇帝に手紙を書いて許可を得ようとしました。しかし、次の日も、次の日も、いつまでたってもその手紙は届きませんでした。法師の胸には中国の人を救いたい、その恐怖を取り除きたいという気持ちが心の中でどんどん大きくなって、もう我慢できないと、もう我慢できないといって、インドに旅立ったのです。それもたった一人でです。
おそらく法師はシルクロードのラクダの商隊と共にインドに向かったと思います。砂漠は気温40度です。砂嵐もあったでしょう。TVで砂嵐を見ました。上空1000mもある砂の粒の嵐です。息もできないでしょう。おそらく、衣の袖で顔を隠して歩いたに違いありません。ヒマラヤでは毛皮を5枚着て寒さをしのぎ、重いのを我慢して登ったでしょう。
片道3年です。3万キロです。インドで経典を集めるのに7年です、足掛け13年です。
どうか皆さん、法師が命懸けで、13年かけてでも伝えたい、仏教なのです。それくらい、仏教は大事なのです。ありがたいのです。死の恐怖は深く、暗ーーーいのです。私たちは、おぎゃっと生まれて浄土真宗の家に生まれました。その時より、仏教を体得しています。ですから、死の恐怖はなく、極楽浄土に行きますから、明るーーーーく、最高の幸せを享受しています。
もし、仏教を知らなかったら、毎日恐怖を感じ、つまり「今から寝るけど、明日、目が覚めるかなー。目が開かなかったらどうしよう。地獄にいくのかな。地獄行ったらどうしよう。」と恐怖と戦うしかないのです。暗-----く生きねばならないのです。井戸の中の蛙ではいけません。仏教の大事さを持ちましょう。仏教徒を自覚しましょう。浄土真宗の信徒を自覚しましょう。
明日からのおまいりをお願いします。南無阿弥陀仏。
追伸 改めて仏の教えとは1、小さな生き物を殺さない。2、人の心を傷つけない。3、おかげさまの気持ちで感謝する。4、100%死ぬことをわきまえて生きる。この教えを心に持って、阿弥陀様、ご先祖の仏に感謝の南無阿弥陀仏とお参りすることです。詳しくは「わかりやすい浄土真宗の教え」を参照。
最近の説教会は聞く人が少なくて、困っています。多いときで5,6人です。今までは、20人、30人と聞きにいらっしゃいました。
理由は、それを聞きに来ていた人が亡くなってしまったこと。最近は、TVが面白いのでこない。すなわち、昔は、説教が面白かったのです。
TVより面白い説教をしないといけないのでしょう。来てくれるために。「なんで、漫才みたいな説教をしないといけないのか。!」という意見も聞きます。仏教の教えの恩恵を被ってるのに、仏教徒の自覚がないのですから、こないわなー。自覚があってもTVが面白いからいかないっていうところもありますね。
金沢市内のお寺では説教会を中止するとろが出てきています。寺院報恩講も昔は3日でしたが、1日しか勤めないところもあります。お参りがないのなら、中止しますって考えかかたですね、わたしは一人でもあれば、それをしないといけないという考えてやっています。この考えも限度があるでしょう。
ここの寺の檀家さんたちは面白い説教があると、聞きにきます。これは間違いのないところです。だから、漫才みたいな説教をしてくる人を探していますし。育てないといけないと考えています。実際、最初から最後まで笑って、仏の教え少しっていう説教者います。その人は人気があって、ここには来てくれません。82才です。やっぱり、育てないといけないのですね。
わたしは仏教徒の自覚をもってほしいという考えで寺院活動をやっています。特に若い人に。そうしないとこんなすばらしいものが目にみえないくらのスピードで消えていくでしょう、これを止めないといけないという考えでやっています。
今回、若い新人の説教者を呼んできました。食いついてくれないかなーー。期待です。
2月3日に49日の法事に行ってきました。その出席者の中に秋田県から来た息子さんがいました。8時間かかったそうです。わたしは「よくぞ8時間かけていらっしゃいました。必ずいいことがありますから。」と、声をかけました。
同じ時間を遊びに使うか、仏の教えに使うか、雲泥の差があると考えます。仏の教えに触れる時間が長ければそれだけ心が美しくなります。理想ですが、24時間仏の教えに触れれば、それはそれは清らかな時間です。
ある人が言っていましたが、お参りすると気持ちがスッキリするとーーー。
お金もお布施につかうか、車に使うかで、違ってくると考えます。清らかなこころになるんではないかなー。
遊んではいけない、車を買ってはいけないと言ってるのではないですよ。仏縁があるときはそれにゆだねる姿勢が大事ですね。うまく書けませんがーーー
今、SNS、TV、新聞で話題ですねーーーーー月参りにいったら、話になった。門徒さんたちも気ずかっているんだなー。
この土、日、月と法事があるから、僧衣をつけて、車を運転します。途中でお巡りさんをみたら、あらって思って、危ないです。これはいけないので、金沢別院に電話して、僧侶の代表として、石川県は僧衣は大丈夫なのか県警に聞いてよって、いったら、さっそく聞いてくれて、連絡がありました。石川県は大丈夫だそうです。よかったです。
最初別院に聞いたら、大丈夫だと思うという返事でした。こんなことがあったのですから、思うじゃなくてはっきりしてほしいと思って聞きました。これを機会に宗派と世間と関係をもってほしいです。別院で親鸞聖人750回忌の法要が来年あるんですが、宗派内だけがもりあがって、世間は知らん顔です。こんなのはいけないよねー。
お釈迦様は厳しい修行をして、修行をしてもだめだと考え、山をおり、菩提樹のしたで座禅をくみ悟りを開きました。
禅宗はこの菩提樹のしたの座禅を取り入れ、覚者になる方法をとり入れました。
わたしたち凡人にはこんな厳しい修行はできません。体力的にも精神的にもできません。そんなことをしたら、死んでしまいます。そして家族もあります。家族を捨てて出家なんてできません。こんな非力な私たちのために、お釈迦様は阿弥陀仏を立てて、それにお参りし、極楽浄土に行きなさいと教えたのです。これがアミダの誕生です。
私たちの遠いご先祖は蓮如上人に会い、浄土真宗の教えを授かり、極楽にいったのです。そのこころが先祖から私に受け継がれているのです。
お釈迦さまも阿弥陀仏にお参りしたはずです。
NHKのニュースでやっていた。イスラエルの社会学者が人間とAI(人工知能)の関係を予想していました。未来はAIを使う人とそれに従う人と別れるそうです。後者を無用者階級というそうです。これはちょっと言いすぎですね。それを使う人になるには自分がわかる人だそうです。自分がわかる人は仏に感謝する仏教徒です。
理由は「感謝はどうして大事?」(住職日記)を読んでください。本来、人間は無限の欲望を追及するものです。しかし、仏にあって、はじめてそれを抑制し、自分を知るのです。
私たち仏教徒の未来は明るいですね。
彼がテレビの取材を受けていた時のことです。手にトンボがとまりました。周りに人がいるのにですよ。わたしは指にトンボと止まらせることはできますが、一人のときです。
この映像を見たとき、お釈迦様が亡くなるとき、森の動物たちが周りを囲んだという経典があるのを思い出しました。その映像を見る前までその動物たちがお釈迦様をかこんだなんて信じれませんでした。
小畠さんのその映像をみたとき、お釈迦様が亡くなった時の話を信じることができました。何しろ、お釈迦様は脇の下から生まれたなんて、経典に乗ってるのだから、当初、信じることはできませんでした。でも、今は信じることができます。
それと、小畠さんは生き仏ですよ。「情けは水に流せ、恩は石に刻め」ですって。まったくもって仏の教えですね。小畠さんは生き仏ですね。
2才のこどもを見つけたとき、お礼にその子のおじいちゃんが、「お風呂と夕食を提供したいと」いいましたが、それを断っていました。ここまでしないといけないのかなーーーー。「人の好意は素直に受けろ。」って、先輩から教えられていますから。時と場合なんでしょう。