住職日記


感謝は怖いもの知らずだ!

あるおじいちゃんがいってた。いいですねー。わたしは理屈っぽいから、こういうキャッチコピーは不得意です。

 これは生老病死の苦しみ、すなわち、それの恐れを離れるには感謝する(縁起、わかりやすい浄土真宗参照)ことです、をキャッチコピーしている。

 人は1人では幸せには生きてはいけない。家族などのおかげで幸せに生きていける。よって、感謝しないといけない。(因縁生起説)

今、NHKでヨガやってる。

3分間無になるって。それはいいんだが、そのあとは雑念ばかりになる。やっぱり、浄土信仰が1番だね。

 無我っていうが、我とは自己のこと、自己とは精神のこと、精神とはその人の価値観のことです。それを否定すると無我ってことになる。何をもって否定するのか。それは仏教精神です。無常、縁起で否定することです。

 浄土信仰で24時間、365日、無我になる。

 

 

 

 

若い人の宗教離れ

 最近、家族葬が少しずつ増えてまいりました。家族親戚の葬式です。普通の葬式では家族親戚、地域の人、会社の人等、たくさんの人がお参りに来ました。葬式は個人を極楽浄土に送る儀式ですが、参拝者に、人はいずれ死ぬんだと知らされるところでもあります。。

 そこで私たちは、いずれ自分も死ぬんだと気ずかされます。そこに宗教心が生まれるのです。悔いのない人生を送ろう。ではどうすればいいのか?人は死んだらどこに行くのか?これらの宗教的心理が働くと思います。家族葬はその機会を失わせることになります。

法事も同じように、簡素化です。先祖の御苦労(血と汗)を知る機会を失うことになります。ご先祖は仏の教えを私たちに伝えた仏様です。これも不景気などの経済的なものがあるのでしょう。そのほかの要因もあるのでしょう。

このような事柄で宗教離れが進むのでしょう。これを仕方ないで済まされるのでしょうか?そうは思いません。なぜなら、小さな命を大切に(不殺生)、人のこころを傷つけない(無依畏)などの教えはお釈迦様が発明して(正確には創出)、それが伝わって私たちの心にあるのです。また、私たちの遠いご先祖が、血と汗を流して獲得したものです。決して、自分で作ったものではないし、タダでもらったものではありません。それによって、わたしたちは明るく幸せに生きているのです。つらく、苦しく生きてはいません。幸せに生きているのです。その教えはありがたいのです。感謝しないといけないのです。1日に一度は仏に感謝のお参りをしないといけないのです。宗教離れはいけないのです。

 これを意識せずに、ずーとくれば、いずれは忘れさられることになるでしょう、または、道を外れることになるでしょう。少し前までは葬式仏教はだめだとか、いわれましたが、強制的でもこれまでに教えは伝わってきました。これを新認識しないといけないと考えます。宗教離れを食い止めねばならないのです。子孫のために。

浄土真宗と悟り

 遠い昔、中国に盤山和尚という禅宗の坊さんがいました。彼が街に托鉢に出かけました。ちょうど現代でいう肉屋さんの前に差し掛かったとき、店の主人と客の会話が聞こえてきました。客が「私に、おいしくて、高くて上等の肉を売ってくれ。」と言いました。それに対して、店の主人が「この店には高くて、おいしくて、上等の肉しか、置いてないワイヤ」といいました。これを聞いた和尚は悟ったそうです。何を悟ったかというと(高くて、おいしくて、上等の肉も素晴らしい。安くてまあまあの肉も素晴らしい)ということを悟ったのです。

 悟りというのは囚われのこころを離れることです。人間はもろもろのものにとらわれます。そして、苦しむのです。煩悩です。たとえば、死ぬのが怖い。愛する人が死んだら怖い。病気が怖い。顔にしわが寄るのが怖い(老い)。我が思いにとらわれて、お金があればいい。彼女がいればいい。と考え殺人、ストーカをし、犯罪を犯すのです。そして、苦しむのです。この囚われの心から離れるのが悟りです。

 一方、わが浄土真宗はおかげ様の気持ちで感謝する、という教えがあります。皆様もこのお気持ちはありますね。ううんn。人間は一人では生きてはいけません。家族のおかげ、友人のおかげ、会社の人たちのおかげ、近所の人のおかげで、幸せに生きているのです。

 ですから、先ほどのたとえ話でいえば、「高くて、おいしくて、上等の肉にも感謝、安くて、まあまあの肉にも感謝です。」これは囚われておりません。ということは、私たち浄土真宗の門徒は悟っているのです。悟っているといっていいでしょう。苦しんではいないのです。親鸞聖人もこのことを教行信証の中でむずかしい言葉でいっています。苦しんではいなく、明るく生きているのです。このように浄土真宗の教えは、とっても、とってもいいんです。

 私たち浄土真宗の門徒は苦しみから離れ、悟り、幸せになり、命を全うした後、極楽浄土にいって、仏になり、子孫を温かく見守りのです。

 

親はありがたい。

 80歳の母親です。「蛍光灯を変えてくれ」、「玄関に宅配が来たからハンコ。」少し、動きが遅いのですがーーー。忙しい私にいいます。母親も私に甘えてるのですが、わたしも負けじと「だから体重を減らせって言ってるやろ。くそたれがーーー」っていいます。わたしも母親に甘えています。

 仏の教えは怒ってはいけないですが、わたしも人間です。起こりたいです。外では怒れませんが、家では母親に怒っています。親はありがたいです。喧嘩しても次の日仲直りです。

49日法要って

 浄土真宗ではなくなった門徒さんは皆、仏様になります。(どうしてなるかは、わかりやすい浄土真宗参照)しかし、残った家族がまだ、部屋にいるとか、ふすまを開けて出てきそうだとか思ってしまいます。そうではなくて、もう仏様になったんだと自分に言い聞かせる意味で、毎日参り、週間参りがあります。そして、49日法要で名実ともに仏になるのです。49日法要にはそういう意味があります。

 このことを理解したうえで、明日からのお参りをお願いします。仏壇のないかたは、寝る前ベッドの中で、目に見えない仏様に感謝のお参りをお願いします。 

墓じまい(NHKクロ現代)

数日前、NHKで墓じまいについて放送していました。これも散骨と同じですね。

 お墓は昔、亡くなった人がでると、土葬してその上に木をうえました。目印です。そのあと火葬になってそのあとに石を目印におきました。その石がだんだん大きくなり格好が良くなり、現在にいたりました。ともに先祖にお参りするためです。

 先祖は仏教を教えてくれた仏様ですから、感謝しないといけません。私たちは先祖のおかげで幸せに生きているのです。大部分です。

 このことを考えると墓じまいは間違いになります。若い人に墓参りをしてくれよっていってください。若いもんに迷惑はかけられないって言っていましたが、迷惑ではありません。その反対です。人生を間違えないように、しっかりした人生を歩むために、若い人に宗教的責任を課してください。お参りせんとだめだよっていってください。

 どうしても、墓じまいをしないといけないときは、写真にお参りするといいでしょう。写真に参ってくれよって、若者にいってください。要は先祖仏に感謝することですからーーー。

散骨について(NHKクロ現)

今、NHKクローズアップ現代で散骨について放送していました。散骨から処分だそうです。

 どうして、処分なのでしょうか?仏教の教えからいうと、御先祖は仏様です。その象徴として、遺骨があります。ですからお墓に納骨してお参りをするのです。

 ご先祖が仏様なのは仏の教えを伝えてくださったからです。もっと、詳しく言いうと、小さな生き物を大事にしなさい。人の心を傷つけてはいけない。みなさんにはこの心、教えがありますね。これによって子孫は幸せに暮らしているのです。

 このご先祖に感謝をしなけっればなりません。そして、お参りしないといけないのです。処分なんてとんでもないです。

 将来、ご先祖になる父母も仏になる自負をもってください。子孫にお参りしてくれよっていってください。

魂はあります。

こう書くと怖いとか、気持ち悪いとか、と思うかもしれません。魂は心の中にあるのです。浄土真宗の門徒は魂が浄土に行くのが決まっていますから、そんなものないように思いますが、他宗派の人は魂があると感じているのです。実際、禅宗の檀家さんは魂は愛する人の所に帰ると信じています。

 最近よく天理教の話をするのですが、天理教は命を全うしたら、無になると教えます。愛する人の所、とか、無になるとか、ちょっと納得いきません。やっぱり、浄土に行くがいいです。

法事って?

法事でご先祖の遺徳を偲ぶという言葉をよく聞きます。遺徳の遺はこの世で変えることのできないものを遺いといいます。まったくもってご先祖はこの世に変えるもののできないものです。これはみなさんわかりますよね。徳というのは仏の教えを守ることをいいます。

 すなわち、遺徳を偲ぶとは生前仏の教えを守っているお姿を思い浮かべ、生涯忘れることのないようにすることです。