
今日、テレビで手元供養についてやっていました。結論から言って、これは他宗派のことです。浄土真宗では、亡くなった親族は皆、浄土の国にいって仏様になって、子孫を温かく見守りますから、手元に置く必要はありません。遺骨、分身を手元に置きたいという気持ちはわかりますが、人が見て気持ち悪いと思われますので、心の中で、遺徳を偲んでください。
どうして、浄土にいくのか?は、わかりやすい浄土真宗の教えを見てください。
以前アルカリ性漂白剤と賛成漂白剤を混ぜて、掃除をして病院に運ばれたというニュースがありました。これを勉強していれば避けられたはずです。また、エアコンで風を引く人がいますが、これもこれを勉強していれば避けれたはずです。
自然科学を勉強すれば、地震、大雨の災害時に命を守りことの助けになります。
日本人の特徴は勤勉です。これは江戸時代の寺小屋の流行があったせいだと考えます。また、やさしいしいです。これは江戸時代300年の鎖国があったせいと考えております。
いいことばかり書きましたが、悪いところもあります。それはワイロの文化があります。これは稲作文化の特徴だそうです。また、政治的に未熟なところがあります。経済は一流、政治は三流と言われております。
結論から言うと数学的思考能力を養うためです。1+1=2.ax2乗+bx+c=0この解はx=0である。この数学的思考が人生には必要なのです。
例えば、人生において何かの大きな問題に当たった時、第1段階としてこうする、第2段階としてこうする、第3段階としてこするというように段階ごとに問題を解決するべく思考を働かせることができます。それに沿って、行動を起こせば問題は解決、クリアーできるのです。
このように、算数数学は人生に大事なものなのです。決して、どうでもいい学問勉強ではありません。もちろん、建築、土木、科学、化学にはどうしても必要です。
たとえば、人の心を傷つけて、なんであんなことを言ったんだろう、と自分がいやになったことはありませんか(自己不信)?そして、ベッドの中でごめんなさい、ごめんなさいとあやまりながら、寝たことはありませんか?こんな時に、仏様に失敗しましたと話すと心が休まります。これが絶対矛盾の自己同一です。「善の研究」西田幾多郎です。
この思いのある人は生の断絶が怖い。または死後どこの世界に行くかわからない。それですね。これを解消するには人のこころを傷つけない、小さな命を大切にするなど(三福十善行=わかりやすい浄土真宗参照)の戒律を守り、阿弥陀仏にたくさん、たくさんお参りすることです。
親は子供が小さい時から宗教教育をしないといけません。親戚の葬式に必ず子供を連れて出席するとか、その法事に機会を見つけて連れていくとか、また、お寺の行事に参加して連れていくとか、しないといけません。そうしないと子供に宗教心の空白ができ、変な新興宗教に陥る危険性があります。それには浄土がありません。よって、死後の世界の救いがなく、明るくないのです。こころの底から「わははは」と笑えず、「いひひひ」と笑います。親たるもの、子供の宗教教育をしてください。
仏教もキリスト教もともに、神、仏を信じて、天国、浄土にいくという教えですが、キリスト教はアダムとイブのお話のように、人間は生まれながらにして罪深いものだという原罪の考え方があります。これによって暗いのです。仏教は人間は生まれながらにして仏になれるという仏性の考え方があり、明るいのです。みなさんはどちらをとりますか?仏教でしょう。
今日、お釈迦様の誕生日をお祝いする花祭りをしました。若い人は釈迦?ブッダ?どっちがいいんだろう?どっちでもいいか。
お釈迦様は超ウルトラスーパーマンです。筋肉のそれではなく、頭のそれです。彼は「小さな生き物を大事にしなさい。」とか、「人のこころを傷つけてはいけない」「人は100%死ぬからそれをわきまえて生きていかなければならない。」とか、私たちに教えております。そして、3000年たってもこうやって、彼の誕生を祝っています。それぐらい、すごい教えなのです。この教えは私たちを平和に、幸せに導いてくれています。現在導いてくれているのです。この超ウルトラスーパーマンの誕生を祝わないでおけるわけがない。また、そのような彼の死を涅槃会で偲ばないでおけない。
こんな額が玄関に掛かっていました。こんな額の中の言葉を生活訓といいます。生活訓といえば、有名な相田みつをさんですね。「がまんをするんだよ。がまんをするんだよ。くやしいだろうがね。そこをがまんをするんだよ。 そうすれば、人のかなしみやくるしみがよくわかってくるから。」いいですねーーーーそのとおりです。そこで、よく考えてみると、我慢ができるのは私たちが仏様を背中に背負っているから我慢ができるのですよ。店を経営したいと思っても、親が心配するから我慢しよう。これは人に迷惑をかけないという仏の教えです。言い換えれば、仏の教えによって、人の苦しみ、悲しみがわかるのです。
「今日の笑顔は招福、明日の元」。いいですねーーーその通りですよ。これは仏の教えを背負っているから、笑えるんですよ。仏の教えによって明るく前向きに生きているから、笑えるんですよ。仏の教えを知らない人は「イヒヒ」って笑います。「あはは」って笑えないんです。
いいたいことは、おそらく、相田さんは仏教徒なんですね。また、相田さんの言葉は、現代の仏教の教えなんですね。仏の言葉なんですね。