浄土真宗と悟り

 遠い昔、中国に盤山和尚という禅宗の坊さんがいました。彼が街に托鉢に出かけました。ちょうど現代でいう肉屋さんの前に差し掛かったとき、店の主人と客の会話が聞こえてきました。客が「私に、おいしくて、高くて上等の肉を売ってくれ。」と言いました。それに対して、店の主人が「この店には高くて、おいしくて、上等の肉しか、置いてないワイヤ」といいました。これを聞いた和尚は悟ったそうです。何を悟ったかというと(高くて、おいしくて、上等の肉も素晴らしい。安くてまあまあの肉も素晴らしい)ということを悟ったのです。

 悟りというのは囚われのこころを離れることです。人間はもろもろのものにとらわれます。そして、苦しむのです。煩悩です。たとえば、死ぬのが怖い。愛する人が死んだら怖い。病気が怖い。顔にしわが寄るのが怖い(老い)。我が思いにとらわれて、お金があればいい。彼女がいればいい。と考え殺人、ストーカをし、犯罪を犯すのです。そして、苦しむのです。この囚われの心から離れるのが悟りです。

 一方、わが浄土真宗はおかげ様の気持ちで感謝する、という教えがあります。皆様もこのお気持ちはありますね。ううんn。人間は一人では生きてはいけません。家族のおかげ、友人のおかげ、会社の人たちのおかげ、近所の人のおかげで、幸せに生きているのです。

 ですから、先ほどのたとえ話でいえば、「高くて、おいしくて、上等の肉にも感謝、安くて、まあまあの肉にも感謝です。」これは囚われておりません。ということは、私たち浄土真宗の門徒は悟っているのです。悟っているといっていいでしょう。苦しんではいないのです。親鸞聖人もこのことを教行信証の中でむずかしい言葉でいっています。苦しんではいなく、明るく生きているのです。このように浄土真宗の教えは、とっても、とってもいいんです。

 私たち浄土真宗の門徒は苦しみから離れ、悟り、幸せになり、命を全うした後、極楽浄土にいって、仏になり、子孫を温かく見守りのです。