*阿弥陀仏にお参りし、浄土の国へ行って、仏になる教えです。
浄土とは仏の国です。たくさんの仏様がいて、金色に輝いているところです。きれいな音楽が流れていて、きれいな花が咲いているところです。いい匂いがしていて、擬宝珠(ぎぼし)という魔法の玉があるところです。
その魔法の玉で、お腹がすいたら、おいしい食べ物が出てくるのです。また、会いたい人(亡くなった父や母)にあえるのです。
このような世界が浄土です。阿弥陀仏にお参りすることによって浄土にいきます。
注意1、この浄土は自然科学的にはありません。心の中にあります。
注意2、西方浄土という言葉がありますが、その言葉が使われたのは、今から3000年ぐらい前です。そんな前ですから、それでよかったのですが、現代ではその言葉はつかいません。
*三福十善行の心をもって、阿弥陀仏にお参りする教えです。
三福とは、親を尊敬する。お年寄りを大切にする。世の中の規則を守る、です。
十善行とは、
1、 不殺生(生き物を殺さない)
2、 盗みをしない
3、 よこしまな男女関係をもたない。
4、 嘘をいわない。
5、 人の中を裂くようなことをいわない。
6、 悪口をいわない。
7、 お世辞をいわない。
8、 むさぼらない
9、 怒らない
10、 仏教の真理を忘れない。(縁起と無常)
縁起とは、おかげさまの気持ちで感謝することです。無常とは人は100%死ぬことを体得することです。
この13の心をもってお参りする教えです。次にお参の仕方をのべます。
*お参りの仕方
2つの心をもって阿弥陀仏に念仏を唱えます。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と言います。
南無阿弥陀仏とは阿弥陀仏を信じますという意味です。
1、 感謝の心
阿弥陀仏に今日1日、健康で過ごすことができました。ありがとうございます、と感謝の気持ちでお参りします。
2、 煩悩具足の凡夫の心
むつかしいですね。簡単にいえば、私たちは100%の人間ではありません。どこか、欠点があります。そのことです。今日、友人の心を傷つけるようなことを言いました、と許しを乞うお参りです。(十善行の6)
私たちは、ついつい、愚痴をいいます。(あーら暑い暑い)(忙しいのにどうのこうの)といいます。これに対して、今日、愚痴を言ってしまいました、とお参りします。これは感謝がありません。(十善行の10)
浄土真宗の教えは、このように阿弥陀仏にお参りし、浄土の国にいって、仏になる教えです。
私たちの遠いご先祖が蓮如さんとお会いした。当時のご先祖は死んだ後浄土に行くか、地獄に行くか、一大事であった。そこに蓮如さんが「南無阿弥陀仏と言えば浄土に行ける」と布教したので、すべての人が浄土真宗に入信した。その教えが戦国時代から現在までずーっと続いていま、私たちの心にあるのです。
そして、あまり知られていませんが、蓮如さんは念仏とともに、三福十善行を解りやすく、解りやすく、たとえ話を使って、説教したのです。ですから、その心が戦国時代からずーっと伝わって、私たちの心に、小さな生き物を大切に、人の心を傷つけてはいけないのこころがあるのです。
ですから、空念仏ではなくて、心のこもったお参りなのです。
ですから、浄土にいって、仏になり、子孫を温かく見守るのです。
これを読んだ人のほとんどは「人の心を傷つけない」がありますから、命を全うした後、浄土に行くのです。なぜなら、あなたは死後のことが全然きにならないはずです。死後いいところに行くことが決まっているから、気にならないのです。浄土に行くことが決まってない人は死後のことが心配で心配で、恐怖でたまらないはずです。
あります。浄土に行くということは、生きていて死にたいする畏れを感ずることなく、明るく生きていけます。そこから感謝のお参りが出ます。ほとんどの人は人の心を傷つけないがありますから、すでに、明るく生きているのです。もともと仏教徒なのです。
また、自分の変なところ、欠点からくるつらい気持ちを仏が救い取ってくださいますから、すきっとした気持ちになり、前向きに生きていけます。
そして、80、90歳になってほとんど悟りを得ることができるのでしょう。娑婆のことは若い者にまかせたといって、平穏に暮らし、子孫を見守って。完全な悟りはやはり極楽浄土に行ってでしょう。
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それは、人類の知恵です。人類が平穏に生活するために、平和な社会にするために我欲を捨てて他と共存するすべが、宗教です。そして、魂の救済です。
仏教は小さな生き物を大切に(不殺生)、人の心を傷つけない(十善行)を説き、他と共存を勧め、阿弥陀仏にお参りし、仏の国浄土に行きます。
キリスト教はみなさんよくご存じの、隣人を愛せよを説き、他と共存し、イエスを信仰し、天国にいきます。
イスラム教はあまりよく知られておりませんが、喜捨(貧者に物を与えよ)を説き、アラーを信仰し、天国に行くのです。
共に、信仰(神仏に感謝)と懺悔(許しを乞う)があります。
仏教とは仏になる教えです。仏とは悟った人のことをいいます。また、悟りとは苦しみや悩みのない境地をいいます。苦しみとは生老病死の恐れをいいます。生苦は愛する人との別れ、愛されてないつらさをいいます。老苦、病苦はわかりますね。死苦は死後どこに行くかわからない畏れをいいます。あなたにもあるはずです。
悩みとは、海に行こうか、山に行こうか、とか。この人と結婚しようか、やめようか、とか。大学に行こうか、専門学校に行こうか。このような迷いをいいます。
このように、苦しみや悩みのない悟った人、すなわち仏になる教えです。
では、仏になるにはどうしたらよいか、ですが、ここでは北伝仏教について申し述べます。北伝仏教では、3つの重要な教えがあります。それは、無常と因縁生起説と空観論です。
無常はこの世には常なるものは一つもない。石ころだって1万年で砂になる。同じように人間も100歳で必ず死ぬ。死を迎える準備をしないといけない、死を体得しないといけないと教えるのです。
因縁生起説は普通、花は種を植えたから咲いたといいます。しかし、よく見ると、空気、太陽、土、栄養なども必要です。仏教では、種を因といい、空気などを縁といいます。そして、もろもろの現象はこの因と縁によって成り立っているというのです。私は家族、親戚、会社の人、友人のおかげで幸せに生きているのです。私一人では幸せに生きていけないのです。これが因縁生起説です。これは悟りを得るには人の心を傷つけてはいけない(三福十善行)を守らないといけないと教えるのです。
この因縁生起説を発展させたのが空観論です。たとえば、家を出て会社にいったとします。普通は車を運転して会社に行ったといいます。しかし、仏教では、それとともに、会社に行くのを妨げる物がなかったから行けたと解釈します。これか空観論です。これは、自分で行ったは空しいということになります。そこから、苦しみが生まれるから、お陰様でと感謝しないといけないと教えるのです。
このように、死を受け入れる(無常)、見えないものを見る(因縁)お陰様の気持ちで感謝する(空)これを体得するなら悟りを得ることができると教えます。そして、仏となるのです。
参考 浄土宗、浄土真宗は=信仰の仏教(阿弥陀仏を信仰して悟る)
他の宗派=自覚の仏教(学問と修行で悟る)
はい、いります。私たちはついつい忙しい忙しいといって、お参りを忘れるのです。住職のわたしでも忘れることがあります。仏に生かされていることに感謝する気持ちを一日たりとも忘れない意味で必要です。目に見えて気ずかさせていただきます。それから、若い人にちんちんの音を聞いてもらえることもできます。おじいちゃんがお参りしていると気が付いてもらえます。
ちなみに、御仏壇のない人は、寝るベットの中で、天井を見て、目に見えない仏に、今日一日ありがとうございましたと感謝のお参りをお願いします。