最近、家族葬が少しずつ増えてまいりました。家族親戚の葬式です。普通の葬式では家族親戚、地域の人、会社の人等、たくさんの人がお参りに来ました。葬式は個人を極楽浄土に送る儀式ですが、参拝者に、人はいずれ死ぬんだと知らされるところでもあります。。
そこで私たちは、いずれ自分も死ぬんだと気ずかされます。そこに宗教心が生まれるのです。悔いのない人生を送ろう。ではどうすればいいのか?人は死んだらどこに行くのか?これらの宗教的心理が働くと思います。家族葬はその機会を失わせることになります。
法事も同じように、簡素化です。先祖の御苦労(血と汗)を知る機会を失うことになります。ご先祖は仏の教えを私たちに伝えた仏様です。これも不景気などの経済的なものがあるのでしょう。そのほかの要因もあるのでしょう。
このような事柄で宗教離れが進むのでしょう。これを仕方ないで済まされるのでしょうか?そうは思いません。なぜなら、小さな命を大切に(不殺生)、人のこころを傷つけない(無依畏)などの教えはお釈迦様が発明して(正確には創出)、それが伝わって私たちの心にあるのです。また、私たちの遠いご先祖が、血と汗を流して獲得したものです。決して、自分で作ったものではないし、タダでもらったものではありません。それによって、わたしたちは明るく幸せに生きているのです。つらく、苦しく生きてはいません。幸せに生きているのです。その教えはありがたいのです。感謝しないといけないのです。1日に一度は仏に感謝のお参りをしないといけないのです。宗教離れはいけないのです。
これを意識せずに、ずーとくれば、いずれは忘れさられることになるでしょう、または、道を外れることになるでしょう。少し前までは葬式仏教はだめだとか、いわれましたが、強制的でもこれまでに教えは伝わってきました。これを新認識しないといけないと考えます。宗教離れを食い止めねばならないのです。子孫のために。