良寛さんは禅宗なのに、晩年は浄土真宗になった。!

やっぱり、浄土真宗は1番ですよ。

 良寛は越後の生まれ、18歳で出家し、禅を修業。国仙禅師を師匠とし、修業を積み重ね、その師匠の言葉どおり、全国を旅してまわる。

 その言動は心身脱落の状況だった。たとえば、子供とかくれんぼをして、日が暮れても隠れて、翌朝、村人に問われ、「黙っておれ、子供に見つかるではないか」と答えたそうです。これは「子供の心が悟りの心である」と言ってることの表れですね。このようなことによって、良寛の童話が生まれたそうです。もちろん、手毬をいつも懐にいれて、いつでも子供の相手をして、一日を過ごしたそうです。

 このような良寛さんは晩年は浄土真宗の坊さんになったのです。それは次の言葉によく表れています。

「われながら、うれしくもあるか、阿弥陀のいます御国に行くとおもえば」

「良寛に辞世あるかと人とはば、南無阿弥陀仏というとこたえよ。」

お墓も長岡市の隆泉寺(浄土真宗)にあるそうです。

  ずーと前に、禅宗の説教を聞きました。その時には、魂は愛する人のところに帰るといっていました。一休さんの言葉だそうです。愛する人ねー。はっきりしません。やっぱり、極楽浄土ですよ。