運動不足と業縁

 私は朝、15分散歩して15分ジョギングをやっています。それで思うのですが、みんなは自分は運動不足と思ってるんですが、なかなか体が思うように動かずに、だんだんとそれが弱ってきて、走れなくなり、歩けなくなり、しまいには寝たきりになります。自分ではその不足は理解してるのですが、体が理解してないのです。

 これは運動をする習慣が身についてないからです。それが身についてないから、運動ができないのです。これを仏教では業縁といいます。昔は「業の深い人だな。」っていっていました。たとえば、泥棒が改心してまっとうな人間になりました。しかし、また泥棒を始めました。このような人を「業の深い人だ。」っていったのです。

 習慣というものは恐ろしいものなのです。こんな話もあります。

刑務所に23年入っていました。刑期を終え、娑婆に出てきて、仕事につきました。しばらくして、仕事がきつくなり、無銭飲食をして、また、刑務所にもどりました。わざと無銭飲食をして、刑務所に戻ったのです。三食昼寝付きの刑務所が楽で忘れらなくて、わざと戻ったのです。

 このように頭で理解しているのですが、体が理解していないのです。これを仏教では業縁といいます。みなさんはどうでしょうか?